人気ブログランキング | 話題のタグを見る
<< 揚げパン ユーミンの季節 >>

印刷屋さんで働くまでの道のり〜第一章

自分は高校卒業後、神奈川県立の職業技術校へ通ってました。職業技術校は神奈川県内に数カ所にあって学校によって科目もコースもいろいろでした。自分は学生時代、デザインに興味を持ってました。将来はデザイン関係の職業に就けたらいいなって、おぼろげながら夢見ていたのです。ただ学校の成績はもう最悪と言っていいくらいに悪かったです。専門学校は、4人兄弟の末っ子と言うこともあってお金がかかるから、ちょっとと敬遠してました。やっぱり親もそれなりに年だったのもあって金銭面での負担はかけたくないなって気持ちが当時の自分にはありました。ただでさえ、学校の成績の事では両親に迷惑をかけていたので。学期末になると学校の担任の先生から電話が家にありました。このままの成績では留年もあるかもしれないですよってそんな感じの電話でした。自分はと言うと学校へは行っていたので実際には留年はなかったです。出席日数だけはかせいでいたのです。そんな自分も高校3年になって進路を考える時がきました。デザインの仕事に就きたいけどどうすればいいのかまったくわからなかった当時の自分です。たまたま担任の先生が、進路指導に来ていた業者の方に自分の話をしてくれました。そうしたら、職業技術校はどうですか?と県で出しているパンフのコピーをくれました。そのパンフ見て、なんと職業技術校なんてところがあったのかと驚き感動したモノです。はじめは地元相模原にあった技術校の編集コースが気になったのですがこちらは障害者向けの学校でした。デザイン科は藤沢にありました。高卒者向けにはグラフィックデザインコースがあったのです。もう自分にはここしかないって気持ちになりました。なんと、入学金も授業料も無料だったのです。ここの学校なら親へも迷惑をかけずに、自分のやりたいデザインの勉強ができる、そう思いました。この学校へ行きたい、そう思いました。ただ難関だったのはその倍率です。定員20名のところに応募は120人でした。6倍の狭き門でした。でもどうしてか運がよかったのか、自分は無事に試験をパスして合格する事ができました。とても嬉しかったです。合格発表の日、掲示板に自分の受験番号があったときの感激は今でも忘れられないです。そして、父や母、兄姉たちが本当に合格おめでとうと喜んでくれたのが嬉しかったです。18才の秋の事です。ここから自分の人生は大きく変わろうとしていました。それまでなんとなくで日々を過ごしていたのだけどやっと将来への道が開けようとしていたのです。当時の自分はまだそんな事には気づきもしなかったですが。今の自分の原点はこのあたりから始まっていたのです。
by ahaha-haha | 2004-11-05 16:03 | とりあえずちょっと | Comments(4)
Commented by arinko-mama at 2004-11-05 16:19
職業技術校というものがあるんですね。男の人はずっとその仕事を
続けていかなければならないし、一大決心ですよね。難関を突破して
入ったのも運命のようなものなんでしょうね~。
Commented by ahaha-haha at 2004-11-05 21:45
職業技術校って地域によっては職業訓練校とも言うらしいです。就職するための技術を身に付ける学校みたいな感じなんですよ。この技術校によく入れたなって思いましたよ。奇跡に近いモノだったのかも知れませんねー。
Commented by artigana-g at 2004-11-05 22:49
びっしりな文章!がいいです.印刷やさんまでの道のり,楽しみにしています.こういう時期は懐かしいですね.私も専門学校に入学するために東京にはじめてきたときのことを思い出しました.お兄さんのような厳しい競争率ではなかったですけどね.
Commented by ahaha-haha at 2004-11-06 07:55
自分はたまーに、この頃がとても懐かしく感じるのですよ。それで、なんとなくだけど、印刷屋さんに就職するまでの自分を書いてみようかなってブログに記してみました。
この技術校にもしも入れてなかったら違った自分の人生があったのだろうから不思議なモノですよ。続きはまた後日書きたいなって思います。
名前
URL
削除用パスワード
<< 揚げパン ユーミンの季節 >>